A. 460 16 1 3, 244 2, 502 284 139 319 3, 462 3, 048 2, 188 414 -218 -197 3, 143 1, 930 411 258 544 3, 105 2, 641 1, 693 464 38 37 2, 997 1, 874 236 427 2, 537 1, 694 511 -51 -67 2, 859 1, 763 474 209 413 2, 930 2, 412 1, 580 518 -71 -55 2, 743 1, 998 291 117 337 2, 698 2, 209 1, 485 489 45 28 収益 育成 試合 トップ 女子 販売 3, 543 1, 878 496 230 74 865 3, 391 1, 919 153 268 36 1, 015 152 164 3, 551 1, 989 576 234 678 3, 527 2, 047 174 225 1, 043 24 3, 412 1, 947 646 204 71 3, 380 2, 118 198 266 40 758 32 3, 165 1, 943 466 201 66 3, 195 2, 059 138 39 750 -30 3, 019 1, 928 186 34 353 3, 083 1, 888 167 232 756 -64 -38 物販 2, 874 1, 929 435 185 30 61 2, 830 1, 753 132 180 48 44 57 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 金額の単位: 百万円 資産[編集] 総資産 総負債 純資産 資本金 1, 336 1, 272 63 22 890 -134 855 -96 553 717 -163 685 -219 1, 819 999 819 100 2, 094 1, 110 984 2, 456 1, 462 994 2, 238 1, 241 997 2, 038 1, 041 2, 215 1, 256 959 2, 225 1, 209 1, 016 脚注[編集] 注釈[編集] ^ 1970年シーズンまでは日立製作所本社サッカー部の名称で競技に参加。1971年シーズンから日立製作所サッカー部と改めた。 ^ 1stステージは横浜FM、2ndステージは鹿島で、年間優勝はチャンピオンシップ勝者の鹿島。 ^ この年は、翌シーズンからのJ1リーグの所属クラブを16から18に拡大するのに伴い、J2リーグへの自動降格は無く、J1リーグ最下位(16位)の柏とJ2リーグ3位の福岡が入れ替え戦を行った。 ^ なお、両クラブはそれぞれ前身(JSL)時代に、柏は日立製作所として甲府は甲府サッカークラブとして、入れ替え戦を戦ったことがあり、その際は日立が2戦2勝だった。 ^ 同シーズンは過去に柏在籍経験があるMF茂原岳人も再加入したが、神戸在籍時(当時未成年)の不祥事により逮捕され、2008年5月16日付で解雇。 ^ 2006年に特別指定選手として在籍。 ^ 現J1相当のみの時代の2部組織であるジャパンフットボールリーグからの昇格組も1年目での優勝を果たしたチームはなく、これまでJ1昇格1年目での最高順位は2010年のC大阪の3位であった。 ^ 前身の日立製作所サッカー部時代には1972年の日本サッカーリーグで優勝しており、トップリーグ優勝は39年ぶりであった。またオリジナル10以外のチームが優勝するのは磐田に続き2チーム目。 ^ 翌2012年に広島、2013年にG大阪、2017年に川崎が達成し、現在は柏と広島とG大阪と川崎の4クラブのみ。 ^ 東京V、鹿島、横浜FM、磐田、浦和、G大阪に次ぐ。 ^ 2017年は33失点だったものの、後半30分から試合終了までの失点数がその前の15分間と同様9である。 ^ クラブから最優秀選手賞に輝いたのは2011年のドミンゲス以来2人目である。 ^ 2010年11月には「日立柏サッカー場のアウェー席を増築し、消防法の収容人員が18, 000人に拡張される」と報じられたが[16]、クラブから正式な改修の発表はこの当時はなされていなかった。 ^ a b ACL東地区プレーオフを敗退した場合はJリーグ杯に出場し、同大会3試合を主催予定だった。 ^ a b POを勝利したためグループステージ3を追加。決勝トーナメント進出時はさらに追加有り。 ^ 本来ならば4チームによる2回戦総当たりで行われるため、三協Fで5試合が行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴うレギュレーション変更に伴い第4節 - 第6節が中止となったため、2試合のみとなった。 ^ 「Inspire the Next」は日立グループのコーポレート・ステートメント、「LUMADA」は日立の先進的なデジタル技術を活用したソリューション/サービス/テクノロジーの総称である。[20] ^ Jリーグは2016年より背中下部へのスポンサー広告が解禁[22] となったが、柏はそれ以前の2014年より支援ロゴを掲載している。2016年以前に下部にロゴを提出していた例としてFC東京とガンバ大阪がある。(FC東京の場合は2009年から下部にスポンサーのロゴ(LIFEVAL(2009年)、TEPCO(2010年-2011年4月)、Mitsubishi Corporation(2012年以降))を提出している。その代わり上部にはスポンサーではなくほかのチームでは下部に入る選手名を表記。2016年の解禁後も上部には選手名を表記、下部にスポンサーを掲出の形を継続していたが2017年よりMitsubishi Corporationが上部に移動した。G大阪は1992年から1996年の間、背中スポンサーであった松下電器産業(表記:「National/Panasonic」または「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.
reysol. co. jp/特記事項:2000年に株式会社日立スポーツから法人名を変更[1]テンプレートを表示 柏レイソル(かしわレイソル、Kashiwa Reysol)は、日本の千葉県柏市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 概要[編集] 1940年に創部された日立製作所本社サッカー部(1970年に日立製作所サッカー部へ改称[注 1])が前身となり[1]、1995年にJリーグへ加盟した[1]。運営会社は株式会社日立柏レイソルである[1]。ホームタウン登録は千葉県柏市のみであるが[1]、それに加えて我孫子市、鎌ケ谷市、流山市、野田市、松戸市、印西市、白井市を活動エリア[3] とし、サッカースクールやホームゲームでのホームタウンデーなどを行っている[3]。 チーム名はスペイン語の「レイ(Rey)」(王)と「ソル(Sol)」(太陽)を合わせた造語で、「太陽王」を意味する[1]。ホームスタジアムは三協フロンテア柏スタジアムである[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。マスコットは「太陽の王子」をイメージした「レイくん」である[1]。 歴史[編集] Jリーグ昇格前[編集] 前身の日立製作所サッカー部は、日本サッカーリーグ(JSL)が創設された1965年から参加した8チーム(オリジナル8)のうちの1つ。JSLリーグ戦で1回、JSLカップで1回、天皇杯で2度、それぞれ優勝した。 1990年にプロリーグ(Jリーグ=1993年創設)参加を表明。1992年4月、運営会社となる株式会社日立スポーツを設立[1]。1993年、日立FC柏レイソルとクラブ名称を変更し[1]、フジタ(現:湘南ベルマーレ)、ヤマハ(現:ジュビロ磐田)と共にJリーグ準会員に承認された。 1993年、JFLにおいて2位以内の成績でJリーグ加盟が認められることになっていたが、最終順位は5位。秋に当時ブラジル代表のカレッカを獲得。山口芳忠が初代監督として指揮をとった。JFLの成績ではJリーグ昇格はならなかったが、それでもJリーグカップにおいてベスト4入りすれば、Jリーグへの加盟が承認される条件の中、カレッカを加え、リーグカップに挑んだが、チームは得失点差で決勝トーナメント進出を逃したことで、Jリーグへの加盟は認められなかった[4]。 1994年、戸塚哲也、柱谷幸一を獲得。10月23日、JFL最終節、NTT関東サッカー部戦にカレッカのゴールで1-0と勝利したことで2位が確定し、Jリーグ昇格を決めた[4]。カレッカはこの年チーム最多の19得点を挙げた。 1995年 - 2005年(Jリーグ・J1)[編集] 1995年、開幕を前にブラジル代表のミューレルを獲得、代表でもツートップを組んだカレッカとのプレーは期待されたが、僅か数試合プレーしたのみで退団した。1stステージは最終戦でそれまで10連敗していたホームで勝利をあげたが最下位(14位)。1stステージ終了後のゼ・セルジオを監督から解任し、7月の2ndステージからはアントニーニョが監督に就任。1stステージ優勝の横浜Mに2戦2勝するなど2ndステージは5位(年間成績は12位)。ナビスコ杯では準決勝まで勝ち上がった。 1996年、柏レイソルへクラブ名称を変更[1]。また、ニカノール・デ・カルバーリョが監督に就任。エジウソンがゴールを量産、両サイドバックが激しく動く攻撃的なサッカーを展開、12連勝を達成するなど、年間5位の成績。シーズン終了後カレッカが退団した。 1997年、二カノール体制2年目。1stステージは,優勝争いに加わり3位であったが、2ndステージは10位に終わった。なお、エジウソンがW杯出場を目指し,2ndシーズン途中に退団。また、シーズン終了後にニカノールが金銭面を巡ってクラブと合意に至らず監督を退任。 1998年、監督に西野朗が就任。また、7月にブルガリア代表のフリスト・ストイチコフが加入した。 1999年、西野体制2年目。横浜Fから薩川了洋、平塚から洪明甫を獲得した一方、2ndステージ前にストイチコフが退団した。リーグ戦は年間3位の成績。また、ナビスコカップで優勝し、クラブ初タイトルを獲得。 2000年、西野体制3年目。1stステージは4位。シーズン途中にサーシャ・ドラクリッチとのトレードで黄善洪を獲得した。2ndステージは終盤まで優勝を争い、最終節の勝った方が優勝という鹿島との直接対決でスコアレスドローとなり優勝を逃す。 年間では最多の勝点を獲得したものの、1st/2ndステージ勝者[注 2] が年間1位/2位となるため、総合3位でシーズンを終えた。年間勝ち点1位のチームがチャンピオンシップ出場を逃したのはこれが唯一のケースである。 2001年、柳想鐵を獲得、1stステージが6位、2ndステージが7位。なお、7月に西野を解任し、スティーブ・ペリマンが後任の監督に就任した。シーズン終了後に洪明甫が退団した。 2002年、1stステージは7連敗を喫するなど14位。シーズン途中に黄善洪との契約を解除、8月にペリマンを解任し、マルコ・アウレリオが監督に就任。2ndステージは9位。 2003年、1stステージが9位、2ndステージが11位(年間成績は12位)。シーズン終了後にマルコ・アウレリオが退任した(事実上の解任)。 2004年、日立製作所サッカー部OBの池谷友良がコーチから監督に昇格したが、1stステージは15位の成績。1stステージ終了後に池谷が退任し、早野宏史が後任監督に就任したが、2ndステージも15位。J1年間最下位に終わったが、J1・J2入れ替え戦で福岡に勝利し、J1に残留した[注 3]。 2005年、韓国代表のFW崔成国やクレーベルらを獲得(崔は7月31日付でレンタル移籍を終了)。低迷打破のため、元ブラジル代表FWフランサを獲得し、元東京Vのラモス瑠偉をコーチに起用した。 10月15日、アウェーの浦和戦で、2人の退場者を出すなどし、0-7で大敗。11月26日、ホームの東京V戦に5-1と大勝したが、年間16位の成績。 J1・J2入れ替え戦は甲府に、第1戦はアウェーで1-2、第2戦はホームでバレーにダブルハットトリックを決められ2-6と連敗し、Jリーグ ディビジョン2(J2)降格が決まった[注 4]。早野は天皇杯(G大阪戦)を前に監督を辞任し、山形や川崎の元監督の石崎信弘が監督に就任。 2006年(J2)[編集] チームスローガン : 「タフネス」 明神智和がG大阪、波戸康広・土屋征夫が大宮、玉田圭司が名古屋、大野敏隆が東京V、矢野貴章・永田充が新潟へ完全移籍したが、4年ぶりの復帰となった北嶋秀朗を清水から完全移籍で、SEパルメイラスから前年神戸でプレーしていたディエゴを期限付き移籍で獲得した。J2リーグ戦は横浜FC・神戸と自動昇格枠を争い、2位神戸と勝ち点差1の3位で迎えた最終節・湘南戦に勝利し、神戸が仙台に敗れたため、2位での自動昇格を決め、1年でのJリーグ ディビジョン1(J1)復帰を果たした。なお、84得点は2006年シーズンJ2最多得点であった。 合言葉として「一心同体」が使用されたシーズンであった。 2007年 - 2009年(J1)[編集] 2007年[編集] チームスローガン : 「挑戦 ~進化しつづけるタフネス」 石崎体制2年目。リカルジーニョ、ディエゴが退団した一方、GK水谷雄一、MFアルセウ、マルシオ・アラウージョ、FW阿部吉朗、DF古賀正紘などが加入。J1復帰1年目の目標を「勝ち点45を取る」と設定した。また、3月末に運営会社の社長が小野寺重之から河西晋二郎に交代した。 リーグ戦は開幕戦で磐田に勝利。その後も苦手にしていたアウェーでも勝ち点を得るようになり、前半戦の台風の目となる。また、中盤戦は、2年前は大敗したアウェーの浦和戦を1-1で乗り切ると、苦戦が予想された8月を3勝2分と無敗で過ごす。特に浦和・横浜FMらとJ1最少失点の座を争い、8月までの23試合中12試合が無失点であった。9月23日の川崎戦で当初の目標の勝ち点45を残り8試合を残して達成したがその後は故障者が相次いだ事もあり、4連敗を含む1勝1分6敗であった。 2008年[編集] チームスローガン : 「UNIAO ~ウニオン~ 団結・結束」 石崎体制3年目。GK水谷雄一、MF谷澤達也が移籍したものの、GK菅野孝憲、MFアレックス、FWポポなどを獲得[注 5]。DFの補強は鎌田次郎[注 6] のみと攻撃陣の補強が目立った。 リーグ戦は第15節時点で3位につけたが、中盤以降は低迷して、最終成績は11位。天皇杯は、前身の日立製作所時代以来、33年ぶりに決勝へ進出。決勝はG大阪に敗れたが、準優勝の成績を収めた。シーズン終了後に石崎監督を解任。 2009年[編集] チームスローガン : 「Pra Frente, REYSOL ~共に前に進もう~」 監督に高橋真一郎が、コーチに元日本代表DFの井原正巳、元清水のシジマール・アントニオ・マルチンスが就任。アレックスが千葉へ移籍した一方、2007年に在籍していたアルセウ、ナイジェリア1部からアデバヨを獲得。また、柏レイソルユースから史上最多の5人の選手が入団した。 シーズン開幕後、アルセウがケガのため登録抹消。フランサ、李忠成などが相次いで負傷離脱。大宮から小林慶行、ブラジル1部・クルゼイロECからアンセウモ・ハモン、G大阪からパク・ドンヒョクをレンタル移籍で獲得したが、第17節終了時点でリーグ最多失点の17位と低迷したため、7月15日をもって高橋を監督から解任。東京V、名古屋元監督のネルシーニョが後任監督に就任したが、第33節の大宮戦に引き分けて、2006年以来2度目のJ2降格となった。なお、ナビスコ杯はグループリーグ敗退、天皇杯は3回戦で敗退した。 2010年(J2)[編集] チームスローガン : 「Vitoria」 ネルシーニョ体制2年目。ブラジル1部・クルゼイロからレアンドロ・ドミンゲスを獲得した一方、杉山浩太が期限付き移籍満了で清水へ復帰した。また、シーズン途中にフランサが退団、菅沼実、古賀正紘が期限付きで磐田に移籍した。J2リーグ戦は、開幕から19試合無敗と年間敗戦数「2」のリーグ敗戦数最少記録を樹立。第33節の岐阜戦で3位以内が確定。第36節の横浜FC戦に勝利してJ2優勝も決めた。天皇杯は4回戦で敗退した。 2011年 - 2018年(J1)[編集] 2011年[編集] ネルシーニョ体制3年目。右SBのレギュラーだった小林祐三が横浜FMへ、古賀、菅沼が磐田へそれぞれ完全移籍した一方、大宮から安英学、京都から増嶋竜也、福岡から中島崇典、清水から兵働昭弘、ブラジル1部・サンパウロFCからジョルジ・ワグネルを獲得。シーズン6位以内を目標に掲げてシーズンに入った[5]。また、3月末に運営会社の社長が河西晋二郎から御手洗尚樹(日立製作所・執行役常務)に交代した[6]。 リーグ戦はU-22日本代表の酒井宏樹、澤昌克、J・ワグネルらの活躍もあり首位戦線で健闘、名古屋、G大阪と優勝を争い、第29節で首位に浮上。第34節(最終節)で浦和を破り、Jリーグ初となるJ1昇格1年目でのJ1初優勝を飾った[注 7][注 8][7]。また、J1、J2の両ディビジョンで年間優勝のタイトルを受賞した初のチームとなった[注 9]。ナビスコ杯は初戦敗退、天皇杯は4回戦で敗退した。また、FIFAクラブワールドカップ2011はオークランド・シティFC(ニュージーランド)モンテレイ(メキシコ)に勝利。3位決定戦でアル・サッド(カタール)に敗退したが4位の成績を残した。 2012年[編集] ネルシーニョ体制4年目。藏川洋平が熊本に、パク・ドンヒョクが大連実徳足球倶楽部に、仙石廉(岡山)、池元友樹(北九州)がそれぞれレンタル移籍していたにチームに完全移籍、兵働昭弘が千葉に、相馬大士がJFL・FC琉球に、岡山にレンタル移籍していた山崎正登がFC岐阜に、JFL・ブラウブリッツ秋田にレンタル移籍していた比嘉厚平が山形に、岐阜にレンタル移籍していたエフライン・リンタロウが秋田にレンタル移籍、武富孝介の熊本への期限付き移籍期間も延長した。 補強は横浜FMから昨シーズン横浜FCに期限付き移籍していた藤田優人、栃木SCからリカルド・ロボ、磐田から那須大亮、東京Vから昨シーズン北九州にレンタル移籍していた福井諒司を完全移籍で獲得、岐阜にレンタル移籍していた川浪吾郎、栃木SCにレンタル移籍していた渡部博文が復帰、ユースから山中亮輔が昇格した。また、リーグ戦の開幕後に三浦雄也が加入した。 シーズン途中に北嶋秀朗が熊本、リカルド・ロボが千葉、林陵平が山形、中島崇典が横浜FC、三浦雄也が松本へレンタル移籍、酒井宏樹がドイツ1部・ハノーファー96へ完全移籍し、元千葉のネット・バイアーノが加入した。 FUJI XEROX SUPER CUPは、FC東京に勝利して初優勝。リーグ戦は6位の成績。AFCチャンピオンズリーグ2012はラウンド16、ナビスコ杯はベスト4の成績。 第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会は、決勝戦でG大阪を下し、日立製作所時代以来37年ぶり3度目の天皇杯優勝を果たした。これにより、Jリーグ7チーム目[注 10]、オリジナル10以外のチームでは磐田に次いで2チーム目の国内3大タイトル(J/J1・ナビスコ杯・天皇杯)獲得チームとなった。また、2回戦は柏レイソルU-18との「兄弟対決」となった。 2013年[編集] ネルシーニョ体制5年目。安英学、三浦雄也、エフライン・リンタロウ、ネット・バイアーノ、GKコーチのシジマールが退団、那須大亮が浦和、水野晃樹が甲府、福井諒司が東京Vに、北嶋秀朗(熊本)、比嘉厚平、林陵平(共に山形)、山崎正登(FC岐阜)、中島崇典(横浜FC)、兵働昭弘(千葉)がレンタル先にそれぞれ完全移籍。ユースから昇格した中川寛斗、クォン・ハンジン、熊本にレンタル移籍中だった武富孝介が湘南、川浪吾郎が徳島、JFL・FC琉球にレンタル移籍中だった相馬大士がJFL・町田にそれぞれレンタル移籍した。 補強面では、アルビレックス新潟から鈴木大輔、横浜FMから谷口博之と狩野健太、山形から柏ユース出身の太田徹郎、韓国1部・釜山アイパークから金昌洙を完全移籍、中国1部・広州恒大足球倶楽部からクレオを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ユースからは秋野央樹、木村裕、小林祐介、中村航輔が加入し、レンタル移籍した中川を含めて5人が昇格した。 FUJI XEROX SUPER CUPは広島に敗退した。 8月31日、アウェー鹿島戦終了後、ネルシーニョが辞意を表明するが、9月5日「感情的に熱くなって間違った態度を取った」と撤回、10月17日にはネルシーニョが2014年度も継続して指揮を執ることが発表された[8]。 AFCチャンピオンズリーグ2013では、Jリーグ勢で唯一の決勝トーナメント進出を果たした。決勝ラウンドは準決勝で広州恒大足球倶楽部に2戦合計1-8で敗れた。 リーグ戦は10位の成績。ナビスコカップは決勝で浦和を破り、14年ぶり2回目の優勝を果たした。 天皇杯は4回戦で大分に敗れ、大会2連覇と2014年のACL出場は成らなかった。 2014年[編集] ネルシーニョ体制6年目。前年にJFL・町田にレンタル移籍していた相馬大士が引退、ジョルジ・ワグネル、澤昌克が退団、クレオがレンタル移籍満了により退団、前年より湘南にレンタル移籍中だった武富孝介、中川寛斗の移籍期間を延長、山中亮輔が千葉、谷口博之が鳥栖にレンタル移籍、前年よりレンタル移籍中だったクォン・ハンジン(湘南⇒群馬)、川浪吾郎(徳島)がレンタル先に完全移籍となった。 補強面では、湘南から高山薫とハン・グギョン、水戸から柏レイソルU18出身の輪湖直樹、カタール1部・アル・サッドから元G大阪のレアンドロを完全移籍で獲得。U18から中谷進之介が加入した。 シーズン開幕後、5月にチーム内に負傷者が相次いだこともあり、U-18から中山雄太、大島康樹、手塚康平、会津雄生、山本健司の5名を二種登録。8月にブラジル1部・フィゲイレンセFCからドゥドゥ、栃木からエドゥアルドをそれぞれレンタル移籍で獲得。 6月にレアンドロ・ドミンゲスが名古屋、田中順也がポルトガル1部・スポルティングCPに、8月にハン・グギョンがカタール1部・カタールSCにそれぞれ完全移籍した。 天皇杯は、3回戦で千葉との千葉ダービーでPK戦の末敗退。 スルガ銀行チャンピオンシップでは、CAラヌースに2-1で勝利し、4年連続となるタイトルを獲得した。 ナビスコカップは、2002年以来となるグループリーグからの決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝は当時6年間リーグ戦負けなしの横浜FMに快勝したものの、準決勝は前年の準々決勝で破っていた広島に2戦合計3-2で敗れ、連覇の夢は潰えた。 ネルシーニョが9月17日に今季限りでの退任を発表した。 J1第28節の鹿島戦から第34節の新潟戦まで7連勝の4位でシーズンを終了した。J1優勝のG大阪が天皇杯も優勝したため、繰上げでAFCチャンピオンズリーグ2015の出場権を獲得した。2011シーズンから続いていた3大主要タイトルの連続優勝こそならなかったものの、ホームの日立柏サッカー場では、リーグ戦17試合中11勝5分1敗という好成績を残した。 井原正巳、アレックス、ピメンテウらコーチ陣3人が契約満了により退任。 2015年[編集] チームスローガン : 「MORE(モア)」 新監督にダイレクターだった吉田達磨が就任。また、布部陽功(柏コーチ)がヘッドコーチ、杉山弘一(タイ2部・アユタヤFC監督)がコーチ、松原直哉(U-18コーチ)がフィジカルコーチ、松本拓也(アカデミーGKコーチ)がGKコーチ、 渡辺毅(U-12監督)がダイレクターに就任した。同年から全カテゴリー同じコンセプトで、ボールを保持するサッカーを目指す。 橋本和が浦和、高山薫が湘南、谷口博之が鳥栖、渡部博文が仙台に完全移籍。木村裕が長崎、中村航輔が福岡にレンタル移籍。ドゥドゥがレンタル移籍満了で退団した。 補強面では、オランダ2部・VVVフェンローから大津祐樹を完全移籍、甲府からクリスティアーノを期限付き移籍で獲得。湘南にレンタル移籍中だった武富孝介、中川寛斗、千葉にレンタル移籍中だった山中亮輔が復帰。明治大学から三浦龍輝が新加入。U-18から大島康樹、中山雄太が昇格した。 シーズン開幕後、U-18から滝本晴彦、熊川翔、浮田健誠の3名を二種登録。流通経済大学から湯澤聖人を特別強化選手に登録。6月に大宮から今井智基を完全移籍で獲得。7月にレアンドロが神戸に完全移籍。7月にブラジル1部・アトレチコ・パラナエンセからエデルソンを完全移籍で獲得。 AFCチャンピオンズリーグ2015ではプレーオフからのスタートだったが、チョンブリーFC(タイ)を3-2で下して予選を通過した。グループリーグでは日本勢の中では好調な滑り出しをして、第5節の全北現代モータース戦で勝利をおさめて決勝トーナメントに進出を果たした。 しかし、リーグ戦ファーストステージでは、初戦に前年まで監督だったネルシーニョが率いる神戸に勝利したものの、最終的にわずか4勝しか挙げられず、最終順位は14位と低迷。セカンドステージでは序盤巻き返しを見せ上位に食い込むものの、ACL敗退後はわずか2勝。年間10位、セカンドステージ8位でリーグ戦を終えた。 AFCチャンピオンズリーグ決勝トーナメントでは1回戦で水原三星ブルーウィングス(韓国)と対戦。1stレグはレアンドロの2得点をあげる活躍などで3-2で勝利。2ndレグは0-2と追い込まれていたが小林祐介のプロ初得点で、2戦合計4-4となったがアウェーゴールの差で勝利した。準々決勝では広州恒大淘宝足球倶楽部(中国)と対戦。1stレグはホームの日立での戦いだったが3失点を許して敗戦。2ndレグでもクリスティアーノが得点して反撃を見せるが、1-3で落とし2戦合計2-4でACLの敗退が決まった。 天皇杯では、準決勝で浦和に0-1で敗戦、決勝進出はならなかった。 シーズン終了後、吉田が監督を退任した。 2016年[編集] チームスローガン :「柏から世界へ UNIDOS SOMOS FORTES」 新監督にミルトン・メンデスが就任。工藤壮人がアメリカ1部・バンクーバー・ホワイトキャップス(カナダ)へ、金昌洙が韓国1部・全北現代モータースへ、鈴木大輔がスペイン2部・ジムナスティック・タラゴナへ、近藤直也が千葉へ、狩野健太が川崎へ、菅野孝憲が京都へ、三浦龍輝が長野へ、藤田優人が鳥栖へ移籍。また、期限付き移籍のクリスティアーノが甲府に復帰。長崎へレンタル中の木村裕はレンタル延長となった。 補強面では仙台から鎌田次郎、U-18から手塚康平、流通経済大学から湯澤聖人、甲府から伊東純也、タイ1部・チョンブリーFCからジュリアーノ・ミネイロ、ブラジル1部・AAポンチ・プレッタからディエゴ・オリヴェイラを獲得し、福岡に期限付き移籍をしていた中村航輔が復帰した。また、U-18から安西海斗、滝本晴彦が昇格。田中順也が一年半ぶりにスポルティングCPから期限付き移籍で復帰した。 リーグ開幕後にはメンデスの構想外となっていたエドゥアルドの川崎へ期限付き移籍。サンパウロ州選手権1部・アソシアソン・フェロヴィアリア・ジ・エスポルテスからパトリック、ブラジル1部・クルゼイロECからドゥドゥを期限付き移籍で獲得した(ミルトン・メンデス辞任後、パトリックは構想外となり未登録のまま退団)。 キャプテンを8名に任命する、練習と試合での指示が異なるなどチームは混迷し、ちばきんカップはジェフ千葉に0-3と完敗、リーグ戦開幕後も2連敗を喫した。3月12日のリーグ1stステージ3節・磐田戦後に、ミルトン・メンデスは家族の健康上の理由で辞任を表明した。 後任には、ヘッドコーチの下平隆宏が監督に昇格した。監督交代後は、アカデミー出身の中谷進之介、中山雄太、中村航輔らを中心としたディフェンス陣が貢献し、リーグタイ記録となる5試合連続完封勝利を記録した。1stステージは7位で終了。 5月28日、1997年から2004年まで在籍していた薮崎真哉が代表取締役を務めているジールホールディングスとユニフォームスポンサー契約をした。これによりユニフォームの背中下部には無償提供のセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとユニフォームスポンサーのジールホールディングスの2つのロゴが入ることになった。 6月22日にはクリスティアーノが甲府から完全移籍で再加入をした。7月20日にエデルソンがCRヴァスコ・ダ・ガマへ期限付き移籍、8月5日には大島康樹が富山へ育成型期限付き移籍、9月15日にはジュリアーノ・ミネイロが退団した。 2ndステージでは6節、14節に最高4位をマークするも終盤の失速が響き5位で終了、また年間順位は8位でリーグ戦を終えた。天皇杯は4回戦で湘南に敗れた。 2017年[編集] チームスローガン :「柏から世界へ」 下平体制2年目。山中亮輔が横浜FM、茨田陽生が大宮、稲田康志が新潟、太田徹郎が鳥栖へ完全移籍。増嶋竜也が仙台、湯澤聖人が京都、秋野央樹が湘南へ期限付き移籍。長崎へレンタル中の木村裕、川崎へレンタル中のエドゥアルドはそのまま完全移籍となった。ポルトガル1部・スポルティングCPからレンタルしていた田中順也は神戸へ完全移籍となった。 補強面ではU-18から古賀太陽がトップチームに昇格。山口から小池龍太、デンマーク1部・ブレンビーIFから尹錫榮、仙台からハモン・ロペスが完全移籍で加入、流通経済大学から橋口拓哉が新加入した。また、富山へレンタルしていた大島康樹が復帰した。2月には中川創、猿田遥己の2名が二種契約として登録された。 ちばぎんカップでは2-0で勝利した。 リーグ開幕後にはドイツ2部・VfBシュトゥットガルトから細貝萌を獲得。また、U-18から宮本駿晃が二種契約として登録された。 前半戦は当初4-4-2の形ながらサイドのクリスティアーノ、伊東も攻撃参加する4トップを使用していたが、4月8日の清水戦までで2勝4敗となり、プランの練り直しを余儀なくされた。4月16日の神戸戦から2トップにクリスティアーノ、中川を置く前線のハードワーク型に変えると6月4日の浦和戦まで8連勝、6月25日の札幌戦まで10戦負け無しを記録。暫定首位に浮上したが、序盤の3連敗や上位陣への敗戦などが響き3位で折り返した。 ルヴァンカップはグループステージ敗退となるも、初戦で活躍した手塚康平がリーグ戦でも主力としてプレーするなどの収穫を獲た。 夏の移籍では韓国1部・全北現代モータースからキム・ボギョンを獲得。今季絶望の重症となったドゥドゥは登録抹消、今季リーグ出場ゼロの安西海斗は山形へ育成型期限付き移籍となった。 後半戦は8月に手塚が今季絶望の重症を負い、セントラルMFは小林や金のローテーションとなった。また、R・ロペスが左MFとして定着するなど先発の入れ替わりの多いシーズンとなった。結果で見ると負けは少ないものの、終盤に守り切れない試合が多く勝ち点を取りこぼした結果、33節の鹿島戦をドローで終え3位C大阪と勝ち点4差となり、最終節を残し4位以下が確定となった。最終節は勝利し最終順位を4位で終えた。 天皇杯では準決勝まで進出。試合前に行われた準決勝第1戦でC大阪が勝利し決勝に進出したため、柏が対横浜FM戦で勝てばその時点で最低でもAFCチャンピオンズリーグ2018(ACL)プレーオフ出場権確定となる状況で、11分にR・ロペスのゴールで先制するも、69分伊藤翔のゴールで追い付かれ延長戦に突入、終了間際の118分にウーゴ・ヴィエイラに決勝点を決められ準決勝敗退となったため、自力でのACL出場権獲得はなくなり、C大阪の天皇杯優勝による繰り上げでのACLプレーオフ進出を待つこととなった。 元日に行われた天皇杯決勝はC大阪が制したため、繰り上げによるACLプレーオフ出場権を手にした。 2018年[編集] 下平体制3年目。輪湖直樹が福岡へ、大津祐樹が横浜FMへ、武富孝介が浦和へ完全移籍。橋口拓哉が町田へ、小林祐介が湘南へ、ディエゴ・オリヴェイラがFC東京へ期限付き移籍。湘南にレンタル中の秋野央樹、山形にレンタル中の安西海斗はレンタル延長。京都にレンタル中の湯澤聖人は甲府に完全移籍。仙台にレンタル中の増嶋竜也は千葉にレンタルとなった。 補強面では新潟から小泉慶と山崎亮平、ペルー1部・デポルティーボ・ムニシパルから澤昌克、大宮から江坂任と瀬川祐輔、福岡から亀川諒史、横浜FMから朴正洙を完全移籍で獲得した。 1月24日、三協フロンテアとのスタジアムネーミングライツ及びユニフォームスポンサー契約を締結した(詳細は#ユニフォームと#スタジアム・練習場を参照)。 AFCチャンピオンズリーグ2018ではプレーオフからのスタートだったが、ムアントン・ユナイテッドFC(タイ)を3-0で下して本選出場を果たした。本選では初戦、過去6戦無敗だった全北現代(韓国)にロペス、江坂のゴールで一時は2-0とリードするも2-3で逆転負け。続くホームの天津権健足球倶楽部(中国)戦は1点リードで迎えた終盤にアレシャンドレ・パトにゴールを奪われ1-1と昨年からの課題だった終盤の失点癖[注 11] がACLでも露呈してしまう。連勝だけでなく大量得点も奪っておきたい傑志体育会(香港)との2連戦はホームで1-0で勝利も、アウェイはクリスティアーノ、伊東、キム・ボギョンをベンチスタートで温存も、亀川の前半早々の退場によりゲームプランの立て直しを余儀なくされ終了間際の失点で0-1で敗北を喫した。守護神の中村を負傷で欠いたホーム全北現代戦は0-2で敗北し、チーム史上初めてグループステージ敗退となった。最終節の天津戦は控えメンバー主体で挑むも2-3で敗北。結果1勝1分4敗、6得点10失点で大会を去った。 リーグ前半戦は、前半に先制し後半終盤に失点するゲームを繰り返し、5月12日の川崎戦ロスタイムにJ1初出場の鈴木雄斗にヘディングシュートで逆転負けした事により下平は解任、後任はヘッドコーチの加藤望が昇格した。加藤体制初戦の名古屋戦は勝利を収めたものの守護神中村が脳震盪で負傷退場。ワールドカップのメンバー登録には間に合ったが、その中断明けのFC東京戦でも脳震盪で負傷離脱し、11月3日の川崎戦まで後半戦の試合ほとんどを第2GKの桐畑に任せる事となった。 夏の移籍では中谷進之介が名古屋に完全移籍、尹錫榮が韓国1部・FCソウルに期限付き移籍と前半戦で先発でプレーしたDFを放出。さらに古賀太陽が福岡に期限付き移籍、今井智基が松本に完全移籍とサイドバックの控え選手を放出。また、ハモン・ロペスが契約を解除され、古巣の仙台に戻った。補強面では千葉の高木利弥、ブラジル1部・フルミネンセFCからカタール国籍を持つナタン・ヒベイロ、中国1部・貴州智誠足球倶楽部から昨季スペイン1部ジローナFCでプレーしたケニア人FWオルンガを獲得し、9月にはスペイン2部・ジムナスティック・タラゴナを退団しフリーとなっていた鈴木大輔が2015シーズンぶりの復帰を果たした。 天皇杯では2回戦から出場し、VONDS市原FCに6-0で勝利。続く3回戦では山形とクラブの歴史上未だに勝利のないNDソフトスタジアム山形で対戦。後半に先制を許し、アディショナルタイムのPKでなんとか追い付くもさらに後半ATに勝ち越しゴールを決められ3回戦敗退。苦手とするアウェイ山形にまたも勝てなかった。 ルヴァンカップではACLに出場したため決勝トーナメントからの出場となった。初戦の甲府戦はアウェイの1stleg、ホームの2ndleg共に引き分け、合計3-3のアウェイゴール差で準決勝に進出。準決勝の湘南戦はホームで1-1、アウェイも1-1とドローとなり、延長戦でも1点ずつ入れ合いPK戦に突入。結果PK戦を落とし敗退となった。 加藤体制への移行後もチーム状況は改善せず、下平体制のリーグ14戦5勝2分7敗に対して加藤体制ではリーグ18戦5勝1分12敗と悪化。また4連敗・3連敗を喫するなど、サポーターからも解任の声が高まっていった[9]。第32節終了時点、勝点33、17位の状況で11月10日に加藤を監督から解任し、後任にコーチ兼アカデミーヘッドオブコーチの岩瀬健が監督に就任した[10]。岩瀬体制初戦の第33節・C大阪戦は勝点37で並ぶ湘南・鳥栖・名古屋の結果によって自動降格が決定する状況のなか、3-0で4試合振りの勝利を収めるも、同節で湘南・鳥栖・名古屋が揃って勝利したためシーズン17位が確定、2010年以来9シーズン振りのJ2降格が決定した[11]。 今季初の連勝を狙った最終節G大阪戦は4-2で勝利し、最終節にして初の連勝となった。最終成績は12勝3分19敗の勝点39、得失点差-7の17位、2012年J1のG大阪を超え、17位チームとしての過去最高勝点、かつ同年16位の神戸の勝点39得失点差-9を上回り、J2自動降格チームの最高成績記録を更新した[12]。攻撃面では、総得点こそ47で前年度に比べ2点減っただけにとどまったが、先述のGK中村の負傷による長期離脱や中谷の放出が致命傷となり、前年度はリーグ3位の33失点だった守備が崩壊、リーグワースト4位タイで前年より1.
公式サイトにアクセスDAZN for docomoを申し込む場合は「ドコモユーザーはここから」をタップします。dアカウントは前段の手順で登録ください。ここでは、通常のDAZN申し込みをご紹介しますので、タップすべきは「まずは、1ヶ月お試し¥0」です。2. 562監督長谷部茂利サガン鳥栖が好調でやばい強い理由リーグ開幕以前は降格候補だったサガン鳥栖だったが、蓋を開けてみれば上位に食い込む強さを見せ快進撃を続けている。サガン鳥栖のユース監督も経験のある金明輝監督が去年より若手を多くスタメンに起用し始めそれが身を結び快進撃を見せているようです。金明輝監督が就任してから従来の縦ポンサッカーではなくポゼッションを意識したプレースタイルに変わっていったのも要因の一つだと考えられます・サガン鳥栖スポンサーにキングダム作者原氏サガン鳥栖のユニフォームすスポンサーにはなんとあの人気漫画キングダムの作者原泰久氏も含まれています原さんはこれまでも本拠地の駅前不動産スタジアムにキングダムの主人公、信のバルーンを置くなどクラブを支援してきたそうです。原さんにとってはずっと応援している地元のチームの一つだそうで、心強いユニフォームスポンサーの存在といえます!サガン鳥栖ファンおすすめの掲示板サガン鳥栖ファンおすすめの掲示板は『超サガン鳥栖掲示板』です!このサイトではサガン鳥栖のファンと交流ができたり情報交換をすることができます!(マナーを守って楽しみましょう) 超サガン鳥栖掲示板続きを見る サガン鳥栖Jリーグ2020シーズン順位サガン鳥栖は昨シーズン勝ち点36の13位でシーズンを終えました。順位チーム勝ち点試合数得失点1川崎フロンターレ8334572ガンバ大阪653443名古屋グランパス6334174セレッソ大阪603495鹿島アントラーズ5934116FC東京573457柏レイソル5234148サンフレッチェ広島483499横浜F・マリノス47341010浦和レッズ4634-1311大分トリニータ4334-912北海道コンサドーレ札幌3934-1113サガン鳥栖3634-614ヴィッセル神戸3634-915横浜FC3334-2216清水エスパルス2834-2217ベガルタ仙台2834-2518湘南ベルマーレ2734-19サガン鳥栖のスタメン注目選手山下 敬大| 背番号9(引用:J.
ルヴァンカップ準決勝!広島vs福岡の無料ネット配信・ライブ放送の中継動画を見る方法!こんにちは! 2022年度のJリーグカップ、ルヴァンカップ2022もいよいよ準決勝(第1戦:9/21(水)、第2戦:9/25(日))を迎えます。 サンフレッチェ広島が勝てば準優勝した2014年大会以来の、アビスパ福岡が勝てばチーム史上初のルヴァンカップ決勝進出となります。 このルヴァンカップ準決勝を制し、決勝の舞台・国立競技場へコマを進めるのはサンフレッチェ広島かアビスパ福岡か注目です(^^)/ なお、今年もルヴァンカップ2022はスカパー!サッカーセットで全試合が視聴できますが、最低でも2ヶ月の契約が必要になります。 次の決勝戦は、フジテレビで地上波生中継ですし、プライムステージ準決勝のためだけに、2か月も契約って、ちょっともったいないですよね。 そんなときオススメの視聴方法が、 Amazonプライムビデオの「サッカーLIVEライト」の【7日間の無料お試し体験】を使って、ルヴァンカップ準決勝を無料視聴する方法です。 このAmazonプライムビデオの「サッカーLIVEライト」は、 ✅ Amazonプライム会員の方(無料体験期間中もOK!)ならどなたでも、 ✅ 初回7日間無料トライアル(お試し体験期間)があり ✅ 3分程度の簡単な登録手続きで、視聴を始めることができるんです。 ちょうど9月連休のシルバーウィークと重なり、お出かけや買い物、外食などで出費が増えた方も多いと思いますので、 本記事でご紹介する、0円でルヴァンカップ2022準決勝「サンフレッチェ広島 vs アビスパ福岡」のネットライブ中継・見逃し配信を視聴する方法でお得に決勝進出を目指すチームを応援してください(^^)/ 7日間無料トライアル実施中 / >>Amazon Prime VideoチャンネルのサッカーLIVEライトに無料お試し登録する ルヴァンカップ2022準決勝 | サンフレッチェ広島vsアビスパ福岡の試合日程 🏆JリーグYBCルヴァンカップ プライムステージ 準決勝 対戦カード決定‼ サンフレッチェ広島 vs アビスパ福岡@sanfrecce_SFC @AvispaF https://t.
2013年4月28日閲覧。 ^ “『株式会社日立ビルシステム』ユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ” (プレスリリース), 柏レイソル, (2019年4月26日) 2019年5月31日閲覧。 ^ “『スポンサー募集!Jリーグユニ背面下部の広告解禁”. 日刊スポーツ. (2015年12月15日) ^ “『2013年モデルレプリカユニフォーム』を注文されたお客様へ” (プレスリリース), 柏レイソル, (2013年1月30日) 2013年4月28日閲覧。 ^ “『柏レイソル クラブ創立30周年記念ユニフォーム』着用試合のお知らせ” (プレスリリース), 柏レイソル, (2022年1月15日) 2022年1月21日閲覧。 参考文献[編集] 『Decade柏レイソル10年史年』文化工房、星雲社、2004年。ISBN 4434041193。 関連項目[編集] 柏レイソルの選手一覧 ちばぎんカップ CAN DO レイソル Rising Reysol 千葉ダービー 外部リンク[編集] 公式ウェブサイト (携帯) 柏レイソル/Hitachi Kashiwa Reysol (ReysolOfficial) - Facebook 柏レイソル(@REYSOL_Official) - Twitter 柏レイソル(@kashiwareysol-official) - Instagram 柏レイソル(@kashiwareysol_official) - TikTok レイくん@柏レイソル (@Reykun_kashiwaR) -